wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

つらい別れ

修論の方向性は決まったものの、指導教授はどうするかという問題があった。私はてっきり原先生がみてくれると思っていたが、私たちが2年になるときに定年退官された。原先生は忙しいなか、私が選んだ『両性平等論』の翻訳者の一人である国立大の男性教授にコ…

進展なし

GIDの治療は相変わらず進まなかった。私はまだ第1段階のカウンセリングだった。クリニックは毎回大混雑で3~4時間、下手したらほぼ一日待ち、やっと順番がきても話すのは5分程度。先生も昼休憩を取らず一生懸命に対応してくれていたが…。もう3年以上は経って…

大学院

業務委託のライターを辞めて3か月後、外資系の会社で書類チェックのアルバイトをした。ISOという国際資格の審査機関らしい。社内のマニュアルに沿って、審査員が送ってきた書類をチェックする(語学力は不要)。面接してくれたのは女性のマネージャー。仕事…

別れと出会い

2001年4月17日。セキセイインコのピーくん(オス)が亡くなった。この子はうまく飛べず、先月、ヒーターの角に落ちてしまった。頭を打ってしまったのかもしれない。それ以来元気がなく、毛を逆立ててじっとしていることが多かった。病院に連れて行ったが手の…

ラジオ

帰国して1年、やっと決まったアルバイトも1年で辞め、その後は鬱々としていた。せっかく自分を解放し、明るくなって帰ってきたのに。私は日本の社会(世間)には受け入れられなかった。写真も好きだったので、これまで撮りためた写真を形にしたくて公募に出…

親は、もう私には何も言わなくなった。昼前に起きて、なんとなく朝食を食べて、部屋にこもり、タバコを吸い、風呂に入って晩飯を食べ、寝る。ただただ身体だけが生きていた。妹は結婚が決まり、私とは正反対だった。 幸い、飼っていたセキセイインコたちはよ…

どん底

日本でも手術ができるようになったことはうれしかった。これを機に少しずつ認知されていくだろうと思った。手術まで行くのは難しいだろう。でもホルモン治療まではいきたい。そのためにも次の仕事を探さねば。再び転職活動をスタートさせた。相変わらず出版…

希望

1998年10月、新聞に驚きの記事が載っていた。「埼玉医科大で国内初の性転換手術」。なにこれ…目を疑った。両親と同居しているので、あとでこっそり記事を切り抜いた。性同一性障害、初めて聞く言葉だ。じっくり読む。体が女で心が男…。これだよこれ! 自分と…

1997~1998

信じられないだろうが、本当にまったく仕事が決まらなかった。派遣会社にも登録したが何も進展しなかった。そんな中でも、オーストラリアで仲良くなった子たちと東京で再会したりして呑気に過ごしていた。F1で知り合った人たちと鎌倉で会ったときのこと。鶴…

転職活動

もともとやりたかった出版業界で働きたい、そう決めた。 でも、まずは車がほしい。渡航する前に車もバイクも処分してしまったので、歩いて中古車屋さんを回った。そして格安の車を購入。旧型のプレリュード。18万円。これに決めた。で、登録手続きのため住民…

心境の変化

成田空港に着くと、一家そろって迎えに来ていた。父親までくるとはめずらしい。真っ黒で、ちょっと痩せた私を見てびっくりしていた。 我が家に到着。もともとせまい家だが、何もかもがミニチュアに見える。そして何もかも「低い」。洗面台こんなに低かったっ…

帰国

1996年6月8日。とうとう帰国の日。日本に帰りたくない。ずっとここにいたい。大陸一周の目的は十分に果たせたけど、結局働かなかった。せめてアルバイトしてコネクションを作っておくんだった、とちょっと後悔した。 メルボルンからシドニー経由で成田へ。も…

シドニー~キャンベラ~メルボルン

ジンベイツアーで仲良くなった子が、とうとう帰国することに。荷造りをして郵便局まで一緒に行ったときのこと。郵便局員のおばちゃんに「日本に帰りたくないよ~」と話してたら「簡単よ。結婚しちゃえばいいのよ!」とのたまった。そりゃそうだ。それはあく…

シドニー

5月16日の朝、シドニーに到着。とうとうここまで来た。っていうか寒い! その時の私の格好はTシャツに短パン。しかも真っ黒に日焼けしていた。唯一のGパンは前日のバイロンベイの大雨で乾かなかったのだ。パースを出るとき、冬物(厚手のもの)はすべて日本…

東海岸の旅2

ブリスベンではユースに1泊した。約1日でサウスバンクなど街を見て回った。夜、部屋に戻ると同室の人が「明日、朝早いから目覚ましなるけどごめんね」と言った。彼女のベッドの脇にはハンガーラックがあり、洋服がたくさんかかっていた。旅行者じゃないのか…

東海岸の旅1

夜中のバスでケアンズを発つ。夜遅い時間にもかかわらず、友達が見送りに来てくれた。彼女たちとはここでお別れ。どうもありがとう。 私はジンベイツアーで仲良くなった子と次のアーリービーチまで一緒に旅をした。アーリービーチはよくあるリゾート地といっ…

大陸4分の3周

夜11時30分にパースを出発。実際のフライトは3時間半くらいだが、時刻にすると5時間くらいかかる。というわけで早朝、メルボルンに到着。大急ぎで移動する。もう時計を直すのが忙しい。自分がどこにいるかもわからなくなる。それより荷物はちゃんとついてく…

再びブルームへ、再び…

セスナとヘリで大満足のうちに、バスでブルームに戻る。真夜中、何もないところでバスが停まった。家とか人の気配はまったくない、真っ暗闇だ。またカンガルーを轢いてしまったのだろうか、なんて思っていたら、アボリジニが乗ってきて、ほどなく発車した。…

ブルーム~カナナラ

次はブルームへ。ここまでジンベイツアーで仲良くなった子たちと旅をした。途中で休憩したロードハウスに飼育小屋があり、そこにセキセイインコちゃんがたくさんいた。久々に見てうちの子に会いたくなった。その隣にはガラー(モモイロインコ)。かわいいな…

コーラルベイ

エクスマウスを満喫し、コーラルベイに向かう。エクスマウスで仲良くなった子たちとはたまたま方向が同じだったので、ここも一緒に旅をし(のちにシドニーで再会)、同じバックパッカーに泊まった。私が予約したのはクーラー付きの部屋だったが、後から申し…

旅の再開~エクスマウスへ

1996年4月の初旬、サムに別れを告げ、旅を再開した。まず目指すのはエクスマウス。パースから一気に北上する。ここではジンベイザメを見るツアーが目的だ。当時、エクスマウスへは週3日くらいしかバスが走っていなかった。ピナクルズ、モンキーマイア、シェ…

パースでの日々

私は写真が好きで、一眼レフ(フィルムカメラ)を毎日のように持ち歩いていた。こんな旅は二度とできないので、自分が見たすべてを残そうと、あわよくば写真展を開きたいなんて思っていた。撮った写真をプリント(オーストラリアはハガキ大のサイズ)して、…

エスペランス

私たちのプランにのってくれる日本人の女の子が決まり、いよいよ西南部を旅することになった。レンタカーで10日間、約3000kmの旅だ。 マーガレットリバーではワイナリーめぐりをした。試飲しながら運転したのはご愛嬌ということで。アルバニーではナチュラル…

1995~1996

シェアハウスのオーナー、サムはアルジェリアからの移民だった。4か国語を話せるインテリだったが、オーストラリアでの職業はタクシードライバー(移民となると職業選択が難しいのか?)。 私ともう一人日本人の女の子と3人で共同生活だ。部屋は決して広く…

パース

パース駅の近く、ノースブリッジにあるユースにチェックイン。メルボルンに比べたらこぢんまりしているが、かわいらしいし、きれいな街だ。『地球の歩き方』に載っていた日本食レストランのサムライに行き、シェアハウスの募集が出ていないかチェックする。…

F1アデレードGPとインディアン・パシフィック

再びアデレードのユースに戻ってきた。前半メインのカカドゥ、エアーズロックを無事に観光することができてホッとした。タマちゃんと再会、グレネルグに行ったり、F1のコース(公道)を見て回った。前年に亡くなったセナを追悼するプレートもあった。このあ…

エアーズロックへ

早朝ピックアップ。今回も少人数のキャンプツアーに参加した。日本人は私一人。あとはすべてヨーロッパ勢。EC共同体か。 砂漠地帯を延々とドライブすると、偽エアーズロックが見えてきた。それでもけっこう感動した。今日はまずマウントオルガとキングスキャ…

内陸縦断往復の旅-南下編

今度はダーウィンからアデレードに向かう。まずはキャサリン渓谷でカヌーを体験。これ以降カヌーにハマる。鍾乳洞のツアーにも行ったが大したことなかった。そして翌日はマタランカへ。温泉があるというので1泊してみた。温泉といっても水着着用だ。うっそ…

内陸縦断往復の旅-北上編

アデレードからグレハン(長距離バス)に乗り約10時間。夜、最初の目的地クーバーピディに到着。ここはオパール採掘と地下都市で有名な町だ。バスターミナルから歩いてバックパッカーに行った。街灯がほとんどなく真っ暗で、でもそのおかげで星がこわいくら…

アデレード

早朝、バスターミナルからかなり歩いてアデレードのユースホステルに着く。と、なにやら注意を引く紙が貼ってある。ああそうか、と腕時計の針を30分戻す。でかい国なので国内でも時差がある。州をまたぐときは気をつけないと大変なことになる。サマータイム…