wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

進展なし

GIDの治療は相変わらず進まなかった。私はまだ第1段階のカウンセリングだった。クリニックは毎回大混雑で3~4時間、下手したらほぼ一日待ち、やっと順番がきても話すのは5分程度。先生も昼休憩を取らず一生懸命に対応してくれていたが…。もう3年以上は経っていたんじゃないか。第2段階のホルモン療法に早くいきたい。でも先生はなかなか「見極め」をくれない。たしか「性同一性障害」と診断されていたはずだ。なぜだ、私が両親と同居しているからなのか。
もう記憶が定かでないが、両親にまず手紙で打ち明けたときのこと。反応は意外だった。父親はびっくりしたけど受け入れる、しかたがない(関心がない、どっちでもいい)という感じ、母親は烈火の如く怒った。父親はともかく母親はなんとなくわかっていたんじゃないかと思っていただけにショックだった。公務員を辞め、アルバイトもすぐ辞め、好き勝手やっているくせに、いいからそんなことより働け、と。私の中でブチンと切れた。じゃあはっきり言うがな、お前の腹ん中がおかしいからこうなったんじゃねえか(ざっくり言うと、妊娠時の性分化の際のホルモン分泌異常が原因)。手こそ出さなかったがものすごい険悪になった。そのあとどうしたか覚えていない。それもカウンセリング時に報告。他の人の話を聞くと、親はおおかた理解を示してくれているという。一緒に病院に来ている親もいた。なぜうちの親は理解がないんだ?
周りの一部の友人にも手紙で告白していった。厳しいことを言う人もいたけど、友人はおおかた理解を示してくれた。まあ、性の問題は理屈では無理だ。もし身内にいたら、また反応が違うでしょう。そんなもんだ、と思うようになっていた。大学院で勉強するにつれ、私の考えは変わっていった。以前は面接時に正直に話していた。でももうやめた。断られ続けて疲れたのもあるし、それより学費を稼がなくてはならない。「わかってわかって」と他人に押し付けてもうっとうしいだけだ。それをしてしまっていた自分に気づいた。
カウンセリングを受けて5年目?だったか、ようやく埼玉医科大病院で検査を受けるよう言われた。これは、身体はあくまで正常な女性の肉体であるということを証明するためのものだ。採血のほか、屈辱的な検査もさせられた。遺伝子、身体機能とも正常な「女性」であることが証明された。
その後、川越にあるクリニックのほうで診察を受けることになった。今度は予約制なので一日中待つ必要はない。場所は変わるが同じ先生だ。しかし…なかなかホルモン療法を許可してくれなかった。