wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

2005年の考察(抜粋)7

私は、本研究をするにあたって、自分の立場を明らかにし、プーランの姿勢に学ぶべく、拡大解釈をしないよう、冷静にみてきたつもりだ。だが、これはやはり人間のすることであり、私が気づかぬ私自身の「偏見」が入り込んでいるかもしれない、ということを自覚した上で書いた。

実は、本研究をしていて気づいたことがある。それは、「なぜ、私はこんなにも性別にこだわっているのだろうか」ということであり、私には実現不可能なことと認識しながらも「背が高い、筋肉質といった既存の『あるべき男イメージ』に近づきたいと思っているのではないか?」ということである。

すでに述べたように、私は自分の身体の性別にずっと違和感を持ち続けている。近年は性による職業選択の制約も少なくなってきた。10~15年前には考えられなかったほど、今は自由になってきていると感じる。ならば、敢えて性にこだわる必要などないのではないか、と考えられなくもない。が、やはり私は、本当は男である(身体が間違っている)という自負を相変わらず持っていて、でも、なぜそう確信しているのかが分からないでいる。私は、今年(2005年)の9月にとある大学病院で身体および血液検査をした。その結果、私の性染色体は「XX」で正常な女性であり、ホルモン量も女性として正常な値だった。すなわち、身体としては、私は「正常な女性」なのである。

性同一性障害は生物学的性別には異常が無い」と定義されている[1]。というのも、性分化の過程で起こるほかの障害などと区別するためである。性同一性障害が起きる要因についてはホルモン(現時点では最も有力な説)または脳の部位、心理・社会的なものがあるのではないか、と研究がなされているが、明確なことはまだ分かっていない。私が、こんなにも性別にこだわる理由、そして身体が「正常な女性」であるにもかかわらず自分が本当は男であるという確信が揺るがない根拠については、「分からない」と言わざるを得ない。

 

[1]  山内俊雄(埼玉医科大学教授)編著

『改訂版 性同一性障害の基礎と臨床』㈱新興医学出版社 2004   p.164