wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

大学院

業務委託のライターを辞めて3か月後、外資系の会社で書類チェックのアルバイトをした。ISOという国際資格の審査機関らしい。社内のマニュアルに沿って、審査員が送ってきた書類をチェックする(語学力は不要)。面接してくれたのは女性のマネージャー。仕事ができる感じの小気味いい人だった。給与明細はこっちの名前(通名)でほしいと言うと、理由を深く聞かずにOKしてくれた。さすが外資! 私たちアルバイトの面倒を見てくれる現場の社員さん(女性)はとてもおだやかな人だった。すでにいた男のアルバイトは、最初は面倒見がいい人だなと思っていたが、コイツがとんでもない仕切りたがり屋だった。他にも男の子のアルバイトがいたけどいたって普通。みんな和気あいあいとしていたのに、コイツのことは敬遠していた。こういうことに鈍感な私だが、だんだんわかってきた。同世代が多くそれなりに楽しくやっていたが、現場の社員さんが退職してしまった。面接してくれたマネージャーも別の会社にヘッドハンティングされた。その後、別のフロアにいた帰国子女のヤンキー娘社員が子分らしき女性社員を連れて私たちのところへ来るようになった。仕切りたがり屋も現場が長いせいか正義感からか、ヤンキー娘に意見するので対立することが多く、一気に場の空気が悪くなっていった。後から入ってきた早稲田大卒のバイトはヤンキー娘に取り入っていた。さすが早稲田、そういうことがうまいね、私は無理だけど。仕切りたがり屋は誰も相手にしてくれないから、どこにも属さない私のところへ来て、仕事終わりにヤンキー娘対策を相談したいとか言い出す。私は勉強で忙しいのに…。職場を離れたのに、友達でもないのに電話とかされるのは大嫌いなのだ。最後はコイツのせいで派閥争いに巻き込まれた。散々な思いをしたので8か月で辞めた。この会社は本社がアメリカで、明らかにヅラの社長とブッシュ大統領とのでっかいツーショット写真が飾られていた。エグかった。
 外資系のアルバイトを辞めた2カ月後、出版社のアルバイトにありつけた。そこは聞いたこともない小さな出版社だったが、未経験でもOKだった。仕事は簡単なDTP作業と校正。小説、研究書など書籍を発行する出版社は初めてだった。前の車雑誌の出版社とちがってみんなスーツを着ていた。聞けばみなさん名のある大学出の人ばかり。ここでいろいろ経験させてもらった。
大学院では、原ひろ子教授のゼミに入ることができた。修士論文のテーマ決めや進捗状況を報告するため、今度は月1回程度集まることが多くなった。私は自分の問題をテーマにするといったものの、展開を決めていなかった。原先生以外に、これまでジェンダー論でしっくりくる人がいなかった。何人かの研究者の本を読んだがピンとこなかった。それはあなたが女性(男性)だからでしょう、まずそこを自分で意識しないと。性別に違和感を特別もっていない人は自分じゃ気づかないのだろうか、言葉の節々ににじみ出ているものを。論文の組み立てで迷っていたとき、地元の図書館でたまたま見つけた『両性平等論』(フランソワ・プーラン・ド・ラバール著)の翻訳本。また出会った! うちみたいな片田舎の図書館によくあの本があったと思う。この翻訳本(原著はフランス語で私の語学力がなく断念)をもとに問題を掘り下げることにした。