wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

また無職に

せっかく理想の環境&仕事で正社員、と思ったら、あっという間に失職。4か月じゃ経験にもならない。リーマンショックの影響もあって、出版業界はますます求人がなくなっていた。この時38歳。「世間的」に言えば、年齢的にも転職には厳しい状況だった。思い切って方向転換するか。志を持って働いている方には大変申し訳ないが、この年齢でも求人がたくさんある業界、「介護」に目を向けてみた。デイサービスを運営している会社で、未経験でもOKなところがあった。会社を立ち上げた社長(同年代)も元国家公務員だったらしく、話が合った。古い民家を改装した、こじんまりしたところだった。デイサービスとは表向きで、独り身だったり認知症がすすんで家族から見放されたり? した人が多く、実際はここで生活している人がほとんどだった。ただ、通いで来る人もいるので、車で送迎もした。最初は恥ずかしかったが、みんなと歌を歌ったり、話をしたりして徐々に慣れてきた。ケアマネージャーは私より若い女の子だったが、とてもしっかりしていて、気のいい人だった。大変だったのが食事時。料理の準備をしているとどこからか手がのびてつまみ食いされる。他人の分を食べようとする。そして逃亡癖のあるおばあちゃん。認知症がすすんでいて、本人的にはまだ子供が小さかった頃の時代にさかのぼっていた。「もう子供が学校から帰ってくるからごはんの用意しなくちゃ」、時には「すいません。今月お金がないんです。来月にはなんとかしますから」と私を取り立て屋か何かと思って出て行こうとする。そういう時は一緒に散歩して(手をつないで)気を落ち着かせた。それから、大きな企業の元部長だったというおじいさん。他の人に手をあげることがあった、本当はいけないことだが(余計に興奮させてしまうので)つい私もどなってしまったことがある。このおじいさんには「部長、あの件、どうなりました」と会社時代の話を適当に振ると落ち着いた。サラリーマン、悲しいね。家族の人が面会にきたが冷たい感じで、なんだか入所者の人が気の毒に思えた。デイサービスなのに、実際はみんなここに住んでるので夜勤もあった。何かあったらどうしようと気が気でなかった。いうまでもないが、トイレの介助は大変だった。
う~ん、やっぱり無理だ。根性なしと言われようと、精神的にきつい。自分のほうが壊れる。潔癖症の私がよくやったと思う。もし自分の親がそうなったら面倒を見るけど、これを仕事にするのは大変だ。私には無理だ。介護ヘルパーは2か月で辞めた。でも、いい勉強になった。いつか自分もこうなる。過去の栄光の中で生きる人、生活が大変だったときの記憶の中に生きる人、先立たれた奥さんを忘れられない人。私がボケたら「オーストラリアに帰る」と言っているだろう。
このあと就職活動をするも全然決まらず、10年前と同じ状況になった。自分の何がいけないんだろう。やりたい仕事は見つからないし、年齢や経歴で除外される。やっとありつけた正社員の仕事も倒産でパー。本意でない仕事をすればこうなるし。親からの風当たりも強いので、折り込みチラシで見た地元の工場で短期のアルバイトをした。弁当工場とパン工場。最初は面白いと思ったが、2日目にして地獄となった。働いている社員の性格が…。挨拶しても無視された。まあ、こんな環境じゃ性格も悪くなるよな。ベルトコンベアーで次から次へと流れてくるものに同じように具を配置する。追いつかなくて流れを止めてしまった。気がおかしくなりそうだった。