wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

改名

自助グループに行くようになって初めて知った、名前のこと。いつか私も変えようと、実績を作るため事あるごとに通称名を使った。GIDではなく、永年使用を理由にして確実に認めさせようと思ったのだ。あれから何年経っただろうか。たしか2010年だったか、管轄の家庭裁判所に申し立てをした。受付時に「税金逃れではないですよね?」と聞かれた。そういう目的で改名するやつがいるのか。まったく迷惑な話だ。その後、裁判所から呼び出しがあり、友達に出した手紙や外資系企業で働いていたときの給与明細などを提出した。約1か月後、裁判所から封書が届いた。正式に改名が認められた。それに伴い、住民票や銀行口座、運転免許、パスポートなどを変更した。両親には一応言っておいた。母親はかなりムッとしていた。いまでも改名する前の名で私を呼ぶ。だめだこの親は。
カウンセリングは川越のクリニックに行っていた。以前と違って予約制なので無駄に待つこともなかった。でも相変わらず先生はGOサインを出してくれない。なんでダメなんだ、もう10年以上通っている。他の人たちは1~2年でホルモン治療に移行しているというのに。ヤミでやるという手もあったが、そこは先生に対して筋を通したかったのでやめた。私はGIDじゃないのかと聞いたら先生は「あなたはGIDだ」と言った。じゃあいいかげん認めてよ。いらいらしていた。私ももうすぐ40歳だ。あ~もう時間の無駄だ。仮にこれからホルモン治療をしても背は伸びないし、副作用でハゲる。今からやってもチビデブハゲのおっさんになるだけ。さぞかしモテないだろう。現実問題として、結局人は見た目で判断される。それに、大金かけて手術しても男の機能までは手に入らない。それじゃ私にとっては意味がない。ならばこのままでいい。今生はこれで生きろというカルマかなんかだろう。それより、なんで他人に許可されなくちゃいけないんだという気持ちが強かった。今の若いやつはうらやましいよ。学校も社会も企業もだんだんと理解を示してきている。NHKで番組もやってるくらいだ。世間でこれだけ見聞きすることがあれば親だって理解を示すだろう。私が思春期の頃にこうだったら人生もっと明るかったろうに。女だから野球はできない、電車の運転士にもなれない、25歳までに結婚退職しろ、なんで? Why Japanese? ほんっとうに日本は村社会だ、欧米に比べて20~30年後れてる。私が変わったやつなのかもしれないが、どうして女は~男は~って決めつけた物の考え方をするんだろう。そして学校教育。将来の納税者、働きバチであるサラリーマンと主婦をつくりあげるための教育・思想を植え付けているとしか思えなかった。私の時代は家庭科は女だけ、その時間は男子は体育だった。私も家庭科より体育がやりたかった。男子の中にも料理や裁縫がしたい子がいたかもしれない。こんなことを学生の頃からずっと感じていた。選択肢を示して、個々人がやりたいことにチャレンジできる社会だったらいいのに。子供ながらいつも疑問に思っていた。
一時、男物のスーツを着て面接に行っていた。これはいけるかなと思ったら「実は…」と正直に話した。そしたら「えっ、男性だと思ってた」。ひかれてしまった。対応を間違えたな~ということもあった。でも背が低いし、ケツがでかいし、男といってもちんちくりんだった。
とにかく、もうカウンセリングに行くのをやめた。THE ENDだ。