wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

2005年の考察(抜粋)5

いまだに、女は人間というよりは身体(肉)として、あるいはモノと見なされているような感を否めない。女というものは、アダルトビデオに代表されるような男の性欲の「捌け口」、または家を絶やさないよう子孫を残すための「子産みの道具」としてしか考えていない男、または「そういうものだ」と許容してしまっている女がいるのではないだろうか。それは、「教育」のみならずメディアなどからも、私たちはこのような観念を浴びせられ、無意識のうちに「そういうものだ」と思わされているのではないだろうか。男は、自分が男であることを確信するために、女を必要としたのだ(女も、自分が女であることを確信するために男を必要としたのだ、という考えもあろう)。

つまり、自分が男であるという根拠は、他の男よりも何らかの形で抜きん出ること、あるいは、いかにたくさんの女を性的に征服するか、または「家庭」を持って妻や子を養い、守ること=あくまで自分がボスであるという居場所を確保してこそ男である、と思い込んできたのではないだろうか。男女問わず作用するホルモンとはいえ、テストステロン値が高い多くの男たちが、こうすることでしか自分を「男である」とは言えないような、「男はかくあるべき」という社会を、男自らが作りあげていった。そしていま、それに男自らが苦しんでいるのではないだろうか。

 

 先ほどから私はヒトとしての側面を中心に述べてきた。そして、これを否定するつもりはないと言った。だが、この側面のみを強調して「だから男が外で働き、女は家庭のことをするものだ」と主張することには、私は反対する。否、お互いの役割に対して敬意を払うことができるならば、対等な関係を築けるならば、それは肯定する。しかし、実際には今の社会で生きるには金が必要であり、どうしても稼いでくる者(とりわけ男)の方が優位に立ち、相手(多くは女)は引け目を感じるようになってしまう。従属関係ができやすくなってしまう。断っておくが、もちろんこれは、女の方が稼いでいる場合も同様である。多くの男は家事をこなすようにしつけられていないから、男の方が(一方的に)屈辱感めいたものを味わうことになるのではないだろうか。