wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

旅の再開~エクスマウスへ

1996年4月の初旬、サムに別れを告げ、旅を再開した。まず目指すのはエクスマウス。パースから一気に北上する。ここではジンベイザメを見るツアーが目的だ。当時、エクスマウスへは週3日くらいしかバスが走っていなかった。ピナクルズ、モンキーマイア、シェルビーチはすでに行ったし、カルバリーは(これまでさんざん広大な景色を堪能したので)もう見なくていいやと割り切った。夜パースを出発し12時間以上は乗った。久々の長距離バス、感覚取り戻さなくちゃ。エクスマウスではキャラバンパークに泊まった。チェックインして通されたキャビンは…オール日本人だった。でも皆一人で旅をしている人ばかり、個性的で面白かった。やはり私と同様、ジンベイザメのツアーを目的に来ていた。ジュゴンと泳ぐツアーに参加するという子もいた。すぐに仲良くなり、ここで一緒にジンベイのツアーを申し込んだ。その前にレンタカーでケープレンジ国立公園を見て回った。夕焼けが恐ろしくきれいだったのを覚えている。私が泊まった部屋にいた日本人の女の子で一人、落ち着いた雰囲気を醸している子がいた。どうやら彼女はダイビング目的で来ていて、もうずっとエクスマウスにいるらしい。ダイビングも上級者だった。実家が中華料理店らしく、私たちが出かけている間にチャーハンをつくってくれた。
翌日はいよいよジンベイ、というとき、宿のおじさんが各キャビンを回って何やら言っている。サイクロンが来るのでこれから避難するとのこと。寝袋と食料だけを持ってバスに乗りなさい、と。ええ~ジンベイは?サイクロンてどいういうこと? テレビを見てないのでまったく知らなかった。まだ雨は降ってないけどなあ…。夕焼けが妙に迫力あったのはこのせいか! 言われるままにマイクロバスに乗り、タウンホールへ連れていかれた。途中で雨が降ってきた。お店や家の窓を板でくぎ打ちしている人もいた。ああ、本当に来るのかと思った。どうなっちゃうんだろ。タウンホールに着くと、すでに地元の人たちや旅行者がいた。私たちも適当に座り、やることがないので酒盛りを始めた。テレビ局が来てタウンホールを取材していたが、私たちのところには来なかった。結局、サイクロンはそれたということで、その日のうちにキャラバンパークへ戻ることになった。そして宴会は続いた(笑)。
ツアー元に行くと、海が大荒れでやはり今日は船を出せないという。で、滞在期間を延ばしたんだっけ? たしか他のツアーは中止していた。その翌日、私たちが申し込んだツアーだけは船を出してくれた。ラッキーだった。ツアーの船長は金髪のロングヘアが美しい…バリバリのおっさんだった。おっさん=ティモテ(当時日本でシャンプーのコマーシャルがやっていた)の家に招かれ(すごいでかい家)、モーニングティーをいただき、ガレージで自分に合うサイズのドライスーツを着て、いざ出発。海がうねっていて、大揺れに揺れた。ひどい船酔いをした。風にあたりながら横になっていると、周りがあわただしくなった。上空にいるセスナからジンベイ発見の連絡が入ったらしい。
船の長さを超える大きな魚がこっちに近寄ってきた。おおお~ジンベイや!しかも親子! 私たちの船の下をゆっくり泳いでいった。
ティモテの奥さんがテンションMAXで「ほら早く!今よ、飛び込むのよぅ~!」と私に言ってきた。いや、まて。私は泳げないんだ、ライフジャケットを、といっても興奮して聞いてくれない。ドライスーツでも浮くとはいうが…。もういいやどうにでもなれ、とうねった海の中に飛び込んだ。ジンベイどころではなかった。うねりにうねった波の間を必死に泳ぎ、出していたゴムボートにつかまった。いやいや、やっぱきついわ。もう一度だけチャレンジし、正面にジンベイザメを見た。それだけで満足だった。みんな興奮していた。こんな悪天候でも、親子のジンベイを見ることができた。
午後になるとうねりも収まり、晴れ間も出てきた。帰りは船酔いすることはなかった。陸に着いてティモテのお宅でドライスーツを脱ぎ、軽い食事をいただいた。私がすっかり回復してビールを飲んでいると奥さんが「あらまあ」というような顔をした。それにしても立派なお宅だ。
他のツアーに参加した人のなかにはジンベイに会えなかった人もいた。あんなうねった海でよく船を出したなあと思ったけど、私たちはラッキーだった。