wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

シドニー~キャンベラ~メルボルン

ジンベイツアーで仲良くなった子が、とうとう帰国することに。荷造りをして郵便局まで一緒に行ったときのこと。郵便局員のおばちゃんに「日本に帰りたくないよ~」と話してたら「簡単よ。結婚しちゃえばいいのよ!」とのたまった。そりゃそうだ。それはあくまで通常の男と女の話。それができないから大変なんじゃないか~と内心思いながら「そうですよね~」と相槌した。翌日、友達を空港までお見送りした。
1996年5月23日。もう一人の友達と別れ(後日日本で再会)、私はキャンベラに移動した。グレハンにしてはめずらしい2階建てのバスだった。ここはオーストラリアの首都。いまさらとも思ったが、一応寄ってみた。半日のデイツアーに参加。パーラメントハウスに行ったとき、遠目にジョン・ハワード首相(当時)を見た。あとは戦争慰霊館、ジェット噴水も見た。そのまま夜出発のバスでメルボルンを目指す。
5月24日早朝。もう少しでバスターミナル、というところでバスが故障。新しいバスが来て乗り換える。最後の最後に何というトラブル。朝7時、とうとう大陸一周を果たし、メルボルンに戻ってくる。いやあああ感慨深い。それにしても寒かった。シドニーよりもさらに寒かった。そして無駄に色黒。季節に合ってない(苦笑)。
もうユースは疲れたので、シティにあるYWCAに泊まることにする。その前に、お風呂に入りたくてメルボルン・シティ・バス(公衆浴場)に行ってみた。重厚な建物でとてもお風呂屋さんには見えないが…。お金を払い、とりあえずシャワーだけしてきた。さっぱりした。後日、シティの中心部にある格安ホテル(シングルルーム)に移動した。
落ち着いたころ、メルボルンの友達と再会。ブルームで偶然会ったパースの友達もメルボルンに来ていた。今度は私がメルボルンを案内した。寒いけど、やっぱりメルボルンはいい! クイーンビクトリアマーケット、美術館に博物館(基本的に無料)、サウスバンク、フィッツロイ(ゲイやヒッピーが集まる地域)、カールトン(イタリア人街)、セント・キルダ…。ホームステイしていたアンさんとも再会した。やせた(超真っ黒な)私を見てびっくりしていた。また、メルボルンのユースで知り合った、私に赤ワインを教えてくれた人が働いている店にダメ元で行ってみたら…いた(笑)。私を見てびっくりしていた。彼女とは映画を一緒に観たっけ。『バード・ケージ』。ゲイもので面白かった。サウスメルボルンに行ったとき、タスマニア号が停泊していた。F1のコース(1996年3月からF1グランプリの開催地)になったアルバートパークも見て回った。ついこの間、ここをシューマッハたちが走ったのか。当時メルボルンで一番高いビルだったリアルトタワーでは夜景を見た。メルボルンセントラルにあった大丸(当時)にポール・ボキューズ(パン屋)が入っていて、そこのブリオッシュがおいしくて毎日そればっかり食べていたっけ。オーストラリア、特にメルボルンは様々な国から移住してきた人が多く、多様性に富んでいた。だから、例えば変わった格好をしていても、日本のように「あの人なんか変」などと言われることはないし、いろんな背景を持った人がいるので、何をしても(法に触れることはダメだが)自由だった。心地よかった。自分のままでいいんだ、と思わせてくれた。
ビザが切れるギリギリに帰国日を決め、銀行口座をクローズし、荷物をまとめながら、惜しむようにメルボルンの街を歩いた。