wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

1997~1998

信じられないだろうが、本当にまったく仕事が決まらなかった。派遣会社にも登録したが何も進展しなかった。そんな中でも、オーストラリアで仲良くなった子たちと東京で再会したりして呑気に過ごしていた。F1で知り合った人たちと鎌倉で会ったときのこと。鶴岡八幡宮でおみくじを引いたら凶が出た。その後、銭洗弁天でおみくじをひいたらまた凶だった。1日に2回も凶を出した。銭洗弁天の人が慰めてくれたっけ。よっぽどこの頃の私の星回りが悪かったのだろう。それから、アデレードのユースで知り合ったタマちゃんの家にも遊びに行った。私が8耐を見たいといったらチケットを取ってくれたのだ。18万で買ったプレリュードで(よく故障しなかったと思う)三重県まで一人で運転した。長島スパーランドに行くはずがまさかの休みで、急きょ伊勢神宮に連れて行ってくれたのもいい思い出だ。どうもありがとう。
帰国してから1年後の1997年7月、ようやくアルバイトが決まった。私も買ったことのある、車やバイクの雑誌を発行している出版社で、編集部の事務だった。編集長が面接してくれたのだが、終始なごやかで、先の出版社のような「結婚云々」といった話は一切なかった。仕事は電話応対、お使い、原稿料計算などだったが、現場を見ることができてうれしかった。他の編集部のアルバイトの人たちとも仲良くなった。車やバイク好きが多く、話も合って楽しかった。私がいたのは月刊誌だったが、校了明けに出社すると何人か床で寝ていた。ああ、本当にこうなるんだ。端で見て大変さが伝わってきたが、いつか取材の現場を見たいとも思っていた。もうすぐ1年経とうかというある日、編集長に「1回でもいいから私も取材の現場に行かせてほしい」とお願いしてみた。編集長は「ぼくはいいんだけどねえ」と好感触。「でも上に聞いてみないと」と言う。私より後から入ってきた男の子のアルバイトは取材現場に行っていたのだ。で、編集長が上長に聞いてくれたのだが「女は現場には行かせられない」とのこと。はあ~、なんでよ? ここの会社、社長は女だぞ。あの役員のおっさん連中か。この言葉でブチンときた。もうここにいても時間の無駄だ。なんで女だとだめなんだ? それまでの就職活動で結婚云々言われ続けてダメージをくらっていたところにこれだ。1か月後、アルバイトを辞めた。それにこの頃、好きな子(女)がいて、今後も友人関係を続けることに悩んでいた。今までにない感情がわきあがり、どうしたらいいかわからず、精神的にちょっと不安定になりかけていた。後日、手紙で好きな子に別れを告げた。友達でいたいと言ってくれたが、私のほうが無理だった。苦しかった。彼女を深く傷つけてしまった。
アルバイトを辞めてすぐ、私はまたオーストラリアに行った。約3週間のオープンチケットで、メルボルンにまだいる友達を頼り、泊まらせてもらった。アンさんとも再会した。その後メルボルンを出て、グレハンでトラベリンバス。まずはアデレードで1泊、そして一気にパースを目指した。前回はインディアンパシフィック号で行ったが、今度はバスで移動してみた。バスでもアデレードからパースまでは2泊3日かかった。ナラボー平原をバスで突っ走る。途中で休憩するロードハウスにはシャワーがあって、長旅でもさっぱりできた。きつかったけど、なかなか面白い体験だった。パースに着くと今度はコーラルベイを目指した。今回の目的地はここ。あまりの海の美しさに、どうしても再訪したかったのだ。前回と同じバックパッカーに泊まった。時期的に泳ぐにはちょっと寒かったが、一日中ビーチにいた。これからどうしようか…。もう来れないだろうな、と思ったら涙が出てきた。