wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

シドニー

5月16日の朝、シドニーに到着。とうとうここまで来た。っていうか寒い! その時の私の格好はTシャツに短パン。しかも真っ黒に日焼けしていた。唯一のGパンは前日のバイロンベイの大雨で乾かなかったのだ。パースを出るとき、冬物(厚手のもの)はすべて日本に送ってしまっていた。他人がどんな格好をしていても気にしないオージーだが、街の中心地を歩いていたときはさすがに失笑を買った。っていうか本当に寒い! ユースにチェックインしたあと、すぐさまGパンと長袖を買いに行った。この日、パースでの最初のシェアメイトだった子と偶然会った。彼女は出版社でアルバイトしているらしい。びっくりした。後日、QVB(クイーンビクトリアビルディング)で食事した。
シドニーではグリーブポイントのユースに泊まる。ジンベイツアーで仲良くなった子がすでに到着していたのだ。アーリービーチまで一緒だった子はすでにシドニーに戻り、友人とシェアしていた。連絡して再会する。2人はもともとシドニーinした子で、私がシドニーに1週間滞在している間、ほぼすべてを案内してもらった。ボンダイビーチ、サーキュラ・キー、オペラハウス、ロックス、オックスフォードストリートなど。フェリーに乗ってマンリーにも行った。夜はシドニー・カジノホテルのバイキングに行き(当時14ドル)、そこに5時間もいて(笑)、夜はゲイバーに行ってみた。ここはショーを見せるような軽いタッチの店ではなく、ホンモノだった。ディープな世界。私たちは蚊帳の外。彼らはそれぞれお目当てのパートナーといい感じになっていた。居心地が悪いのですぐに店を出た。
別の日、日中は一人で映画を見た。タイトルは忘れてしまったがフランス映画で、英語の字幕付きだった。それでもよく分からなかった。英語力はさっぱり身につかなかった。同じ日の夜に友達とサーキュラ・キーで待ち合わせていた。そこへタクシー浮かう途中、渋滞にハマった。運転手はバングラデシュからの移民。オーストラリアではよほどのことがない限り、助手席に座る。たどたどしいながらも会話をし、「君だって英語は話せるじゃないか」と言ってもらったのを覚えている。とても紳士な青年だった。
なんとか待ち合わせ場所に到着。この日の夜は、サーキュラ・キーにあるジャズバー「ベースメント」でライブを見ながら食事した。いいねえ~。大人な雰囲気でよかった。店を出たのは日付が変わる頃、この深夜バスに乗ればユースのほうに行くよと教えてもらったが、どう見ても方向が違うので途中で降りる。さて、こまったなあと思いながら通りを歩く。途中、ATMでお金を下ろす。オーストラリアは銀行内だけでなく路面にATMが設置されていて、当時から24時間利用できた。今思うとけっこう危ないことしたなあと思うが、若さというかなんというか、事態を受け入れる度量だけはものすごく大きくなっていた。自分でも地理がよくわかっていないけどこっちの方向だろう、と通りを歩いていたら、運よくタクシーが通ったので停める。グリーブのユースまで、というと「こんな真夜中にどうしたんだい」と陽気なオージーの運転手。バス間違えちゃって~というと大笑いされた。ぼったくられることもなく、へんな目にも遭わず、終始陽気に会話しながら無事にユースまで届けてくれた。