wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

メルボルン

翌日の日曜日。アンさんが朝食を作ってくれた。トースト(サンドイッチ用くらい薄切りの食パン)に「こっちではこれが定番なのよ」(→おそらくこういうことを言った)と、ベジマイトを勧められた。うすくバターをぬったあとにベジマイトをぬって食べる。何も知らない私は、見た目から「チョコレートっぽいのかな」と思ったらとんでもない、味噌のような味でしょっぱかった。私は最後までなじめなかった(笑)。そのあと近くのショッピングセンターに車で連れて行ってくれた。アンさんの車はSUBARUインプレッサ。やるねえ! ショッピングセンターにあるchemist(ケミスト、薬局)で、通学に必要な定期が買えると教えてくれ、言われるがままにお願いした。
いったん家に帰ってお昼を食べたあと、今度は車でシティへ。中心部にあるデパートやショッピングモールなどを案内してくれた。ん~思ったとおりの街だ。雰囲気がいい。
メルボルンの中心地は通りが碁盤の目になっていて分かりやすい。
見るものすべてが初めてで、ああ外国に来たんだなあとしみじみした。
 1995年7月10日月曜日。今日から英語学校に通う。アンさんとトラムに乗ってシティへ向かう。約1時間の乗車だ。初日は学校まで付き添ってくれた。トラムは降りたいときに吊革の間をとおっているヒモを引っ張るのよ、と教えてくれた。仕事に行かなければならないのに、本当に優しかった。
アンさんは毎週水曜日仕事終わりに友人とテニスをするようで、そんなときはチンすればいいように夜ごはんをつくっておいてくれた。炊飯器で米を炊いてくれた。炊飯器なんてオーストラリアにもあったのか! 夜ごはんが一緒のときは、食後に必ずアイスを出してくれた。オーストラリアのアイスクリームは味が濃くておいしかった。スーパーに行くと、日本じゃ考えられないような大きさ(バケツみたい)で売っている。何もかもでかい。アンさんが「これ面白いのよ」といって一緒に見ていたのはBBCの「Absolutely Fabulous」。英語が分からなくても面白かった。後にハマる。
休みの日には、郊外に住む母親の家やブラザーの家に連れて行ってくれた。お母さんのつくったデザートがおいしくておかわりしたら、ニコニコ笑っていた。ブラザーの子供たちはかわいくて、一番上のお兄ちゃんは小学校で日本語を習っていると恥ずかしそうにノートを見せてくれた。次男は幼稚園児で、やんちゃで人見知りしない子だった。私は次男から「機関車トーマス」の質問攻めにあった。参った(笑)。一番下の女の子は私を怖がっていた(苦笑)。ガイジンを見るのは初めてだったのだろう。それからゴルフにも連れて行ってくれた。パブリックのコースなら普段着で行ける。日本と比べてべらぼうに安い。その後も友達とゴルフに行ったが、Gパン姿でもOKだったし、てぶらで行って(クラブレンタル込みで)15ドルくらいだったと思う。こんなに手軽にゴルフができていいなあと思った。
アンさんは、とんちんかんな英会話でも嫌な顔をせず私に向き合ってくれた。他の家の話を聞くと、子供のいる家庭では週末にベビーシッターがわりのようなことをさせられたりしたという。また、なぜかベジタリアンのおばあさんの家にホームステイすることになってしまった子はいつも「お腹すいた~」と言っていた。私は本当にいい人に出会ったと思った(笑)。
あれだけ季節に合わせた旅の行程を考えていたのに、メルボルンの天気についてはすっかり抜けていた。初日、雪がちらついたのだ。いくら7月といっても、冬だといっても、日本ほどではないでしょう、あったかいんでしょう? と高をくくっていた。荷物を最小限に抑えるため、冬物なんて持ってこなかった。こりゃコートが必要だ。学校帰りに慌ててスーパー(ターゲット)に行って上着を買った。店に入る際は、ガードマンみたいな人がいて、バッグの中身をチェックさせられた。へえ~やっぱ日本と違うなあと変なところで感心してしまった。
英語学校では課外授業の一環で、シティのイタリア人街(カールトン地区)でピザを食べたり、郊外の山にも行った。山には雪が積もっていた。スキー場だったようだ。オーストラリアでスキーだなんて、考えてもいなかった。学校では日本人ばかりだったが友達もでき、学校帰りにシティをぶらつき、観光した。英語のできる友達にくっついていき、銀行で口座を開いた。これでお金の管理が楽になる。
グレートオーシャンロードやフィリップ島のツアーにも行った。また、レンタカーで郊外の町バララットにも行った。高速道路も使ったが無料だ。いやあスケールが日本とまったくちがう。
なにより天国だったのはBYO(Bring Your own)というシステムだ。オーストラリアでは高級店を除き、だいたいの店はBYOだ。ボトルショップで自分の好きな酒を買って、店内に持ち込める。店で頼むより安上がりだった。当時はビールと水の値段がさほど変わらなかった。当時はスタビ―サイズのビールで1.6ドル。ペットボトルの水もそのくらいだった。
英語はまったく上達しなかったが、街の雰囲気にはすっかりなじんでいた。