wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

オーストラリアへ

1995年7月8日土曜日、始発電車で母親と成田空港に向かった。
忘れもしない、カンタス航空22便、成田発シドニー経由メルボルン行き。機体はボーイング747。もちろん片道チケットだ。たしかお昼12時くらいの出発だったと思う。成田空港に到着すると、同期の友達が見送りに来てくれていた。びっくりした。うれしかった。
あとのことはよく覚えていない。人生2回目の海外旅行、しかも今度は12時間のロングフライト。カンタス航空は当時からおっさんの客室乗務員が多かった。丁寧な接待を求める日本人には不評らしいが、私にはざっくばらんな対応が心地よかった。飲み物を聞かれたとき、思わず「I am a orange juice.」と答えてしまった。私の英語力はこの程度だ。シドニーではドキドキしながらなんとか国内線に乗り継ぎ、メルボルンに到着したのは夜中の1時過ぎ。ほぼ初めての海外で、長い間飛行機に乗っていたから耳がおかしい、でもテンションはあがっていた。入国審査で並んでいるとき、なんか鼻水が垂れてくるな~と思ったら鼻血だった。よほど興奮していたのだろう。
無事入国でき、ピックアップのドライバーを探す。なんとか会えて、もう一人ハンガリーからの学生を拾って、シティに向かった。大柄で陽気なおっさんドライバーがいろいろ話しかけてくれるが、なんのこっちゃさっぱり分からない。笑顔でごまかす(←日本人の悪いクセ)。先にハンガリーの子をユースホステルに届け、私がメルボルン郊外のホームステイ先に着いたのは夜中2時過ぎだった。それでも嫌な顔ひとつせず、笑顔で迎えてくれた。アンさん。とってもいい方だった。
平屋だけど裏庭もあり、レンガ造りのかわいらしい家だ。日本からのおみやげ(典型的なやつ)を渡し、つたない英語で日本に電話をかけたい旨を話し、コレクトコールで無事ついたことを伝えた。
自分の部屋に通され、その日はコテッと寝た。
長い長い一日だった。