wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

タスマニア1

メルボルンで2か月ホームステイ&英語学校が終了。いよいよ一人旅の開始だ。私はまずタスマニアを目指した。ホームステイしている間にタスマニアへの旅行計画(2週間)を立て、ユースホステルの会員証もつくっていた。本当は船(Spirit Of Tasmania)に乗りたかったが、予算の都合上、飛行機(小型機)で行くことにした。
1995年9月4日。土砂降りの雨の中、メルボルンからケンドル航空でデボンポートへ。1時間ほどでデボンポート空港に到着。小さい空港だ。シーズンオフ(冬)だからか、まったくといっていいほど人がいない。ここからユースホステルに行こうとするも、バスもタクシーもなんもない。近くに人がいたので「タクシー呼びたいんだけど…」と聞くと、その電話で呼ぶのよ、と教えてくれた。よく見るとタクシー会社につながるような電話機があった。やっと来たタクシーの運転手は陽気なおっさんで、いろいろ話しかけてくれるも会話が続かない(申し訳ない)。丘陵地帯にまっすぐ延びた道路をひた走った。日暮れが早く、タクシーの運転手が懐中電灯で家を照らして番地を確認しながら(笑)、ユースに届けてくれた。
ユースの宿泊客はこの日は私だけだったようで、広い相部屋に通された。初めてなので勝手がわからず、食べ物もろくに用意していなかった。コンビニくらいあるだろうと思っていたら大間違い。暗いし、寒いし、お腹はすくし、なんとも心細いスタートとなった。
翌日は日帰りでバスに乗ってスタンレイという町へ。ここに、タスマニアエアーズロックと言われる「The Nut」というところがある。実際は大したことないが、岬の突端に行ってみたかったのだ。夜、テレビのある部屋に行ったら、オーナーが暖炉をつけてくれて、「明日はどこいくんだい」というので「ロンセストンに向かいます」というと、「この近くにはバス停がないから、バスの乗り場までタクシーでいったほうがいい」と、タクシーを手配してくれた。
早朝、チェックアウトするとタクシーが迎えに来ていた。南米出身のような顔立ちのおばちゃんドライバーだった。オーナーがなんだか言ってくれて、とにかく私をロンセストン行きのバス停まで送ってくれるという。
けっこう走った。
しばらくして「ここよ」と。
「ん?」
両脇はだだっ広い牧場、バス停もなんもない、路上で降ろされた。
(これ、もしかして騙されてる?)
でもユースのオーナーを信じよう。
タクシー代金を払うとき、細かい金がなかった。しまったな~と思いつつ50ドル札を出すと、おばちゃん、つり銭をちょろまかしてきた。おいおい、いま私は50ドル渡したんだというと、「おおそうだった」とすっとぼけてちゃんと返してきた。油断も隙もない。
タクシーが去り、誰もいなくなった。いるのは道路わきの羊たちだけ。ま、なんとかなるでしょう。最悪ヒッチハイクすればいいや。柵のわきに腰かけながら、日が昇って明るくなっていく空を眺めていた。