wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

タスマニア2

空が明るくなるのを眺めていると、バスが来た! あ~よかった。騙されたかと思った。
これでロンセストンへ向かう。ペニーロイヤルワールド(テーマパーク)とカタラクト渓谷が目的だ。ロンセストンはかわいらしい町だった。そういえばペニーロイヤルワールドでは変な爺さんにカタコトの日本語で声をかけられたっけ。普段の私なら相手にしないが、これまでずっと一人だったせいか、つい相手をしてしまった。じじいはイタリア男のように胸元を大きく開けたシャツ姿で、私についてきた。この階段をのぼってみようよ、景色がいいよ、とか何とか言うので階段を昇ったら、一休みしようと。君に会えてうれしいよとか何とかいって手を握ってきた。ひい~気持ちわりい!!!
ちょっと、と慌てて私が手をひっこめると、「この上に家があるんだ、お茶しないかい?」と。いやはや私も舐められたもんだ。「時間ないから」と断り階段を降りようとすると、「日本の女の子はみんなぼくとお茶するのに」みたいなことを言った。お~気持ち悪い、これだから男は嫌いなんだよ。
デボンポートに戻り、翌日はクレイドルマウンテンツアーに参加した。
途中で寄ったシェフィールドというところは壁画の町だった。床屋さんには床屋の絵、パブにも酒場の絵が描かれていたり。公衆トイレにはかつていたタスマニアタイガーの絵が描かれていた。おしゃれだった。そしてクレイドルマウンテン。私が行ったときは雪をかぶっていた。セント・クレア湖を前にたたえ、雄々しい姿でそびえたっていた。感動した。
デボンポートのユースからホバートへ移動。ここは州都だけに今までの町よりも大きかった。バスを降りたあと、インフォメーションセンターを探すが見つからない。あまりやりたくないが(つけこまれるので)地図を広げて見ていたら、町の人が声をかけてくれ、親切に場所を教えてくれた。この時代は本当に人が優しかった。
当時、ホバートのインフォセンターにはタスマニア名物のリンゴ(日本のものより小さい)が「ご自由にどうぞ」とバケツいっぱいに置いてあった。私たちバックパッカーには大助かりだった。
ホバートのユースにはさすがに人がたくさんいた。
ホバートではハーレーダビッドソンツアーに行った。オーナーのマークさんはフレンドリーで、身内に日本人と結婚した人がいるらしく、日本語を勉強しているとのことだった。マークさんの運転するハーレーのサイドカーに乗ってツーリングした。途中でマークさんの友人の新聞社勤務?の人が乗った車と会い、写真を撮ってもらった。ハーレーにもまたがせてもらった。足が届いてなかった(笑)。
週末はサラマンカプレイスでマーケットを見て回った。店番している女の子が日本語のドリルをやっていた。私を見ると恥ずかしそうにニコっと笑った。
ホバートを起点に、マウントフィールドナショナルパーク、ポートアーサー、ビチェーノを見て回った。
またユースで知り合った日本人の女子たちと仲良くなり、レンタカーでブルーニ―アイランドやリッチモンドへも行った。運転できるのは私だけ。それは別に構わないのだが、その子が(安いからと)借りてきた車がボロクソワーゲンビートル(苦笑)。
重ステで、ギアもうまく入らず、もうスピードがぜんぜん出ない。ハイウェイを時速50kmで走った。逆に怖かった。
ルーンリバーにも行った。土ボタルが見れるとか何とか。私も行きたかったが行けず。代わりにお土産で牡蠣をバケツいっぱい取ってきてくれた。この日は豪華な夕食となった。
本当は滞在期間を延ばして南西部のゴードンリバーにも行きたかったのだが、飛行機のチケットが変更できずあきらめた。スクールホリデーが始まっていたのだ。
2週間のタスマニア旅行を終え、メルボルンに戻った。