wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

悪い風

新しくリーダーになったのは、私が面接時に苦手だなと感じたほうの人。私より10歳くらいは年上(既婚)と思われた。新体制になって、私と同じ会社からきた新人2人も加わり、交代で出勤しながら仕事をしていた。震災の直後でばたばたしていた。ある日、リーダーが私に「〇〇さん(私と同じ会社からきている人)、間違いが多いんだけど」と言って私に書類を見せてきた。まだ来たばかりだし、私が見たかぎりでは特段ひどいものではなかったが…。なにかにつけてリーダーはこの人のことを目の敵にした。嫌な予感は当たった。新リーダーは、自分の好みでない人を排除しようとする傾向があった。それなら私が真っ先にターゲットにされそうだが、すでに仕事の流れをつかんでいたので、利用できると思っていたのだろう。リーダーは社長や役員に取り入るのもうまかった。社内政治に疎い私はリーダーにのせられて片棒担がされてしまった。この人は力不足という烙印を押され、試用期間で辞めさせられた。申し訳なかった。残ったもう一人の新人(メガネ)は、アキバ系の格好で、無口で、不思議ちゃんだった。いちいち指差し確認して「よし!」と言ったり、質問するとオウム返しをしたり、くしゃみをするとき手でふさがなかったり(まき散らす)、私が最も嫌いで苦手なタイプだった。メガネはまったくもって協調性がなかった。無表情でリーダーに言われたとおり仕事をしていた。
2011年7月、職場のフロア長と陸前高田市へボランティアに行った。フロア長はすでに一度行っていたが、私も何かやりたくて一緒に参加させてもらった。岩手に行く途中、深夜のサービスエリアにいたときもバスが揺れるほどの余震がきた。現場は津波で何もかもなくなっていた。ここに人が住んでいたと思うと涙がこみあげてきた。2日目、海のすぐ近くでがれきの撤去をしていたとき、大きな余震がきた。最初、暑かったので目眩かなと思った。津波の警報サイレンが鳴った。緊張が走る。私たちはぞろぞろ歩いてすぐ後ろにある高台に上った。結局無事だったが、その現場は離れて大槌町へ向かった。車窓から見た釜石市と大船渡市もひどかった。このあとも職場のフロア長と2回ボランティアに行った。
翌年、私と同じ会社からまた一人入ってきた。リーダー自ら面接して採用した、ロングヘアでマニキュアばっちりのイケイケ風の子だった。私から見れば仕事はできない部類に入る。静かなオフィスで朝からお菓子をボリボリ食いながら仕事していた。さぞかしリーダーが怒るだろうと思いきや、このリーダーもお菓子を食べながら仕事をするタイプだった。その手で書類をさわるな~。3時休みならまだしも、午前中から袋菓子をあけてボリボリ。信じられなかった。そのあと、もう一人うちの会社から採用された子が入ってきた。これでようやく落ち着くかと思った矢先、社長から全員集まるようメールがきた。なんなんだ?
指定の場所に行くと社長が待っていた。「(いま私たちが働いている)提携先の会社と話が折り合わなかった。全員解雇となります。解雇手当は支払います」。えっ! またかよ~。これで3度目。あ~もう、せっかく生活が安定してきたのに。続けよう、と思うといつもこうなる。なんなんだ。結局、イケイケの子は辞めていき、私とメガネともう一人はいま働いている会社に引き取ってもらえた。今度は直接雇用となった。履歴書上、通算8社目となる。ひとまず首がつながった。