wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

公務員時代7

3年目の冬。異動希望聴取のとき、以前ここにいた人が人事部に異動しており、私に「本庁にこないか」と言ってくれたが断った。都心で働きたかった私にとってはうれしい話だったが、本庁勤務となると服装をちゃんとしなければならない…。私はスカートをはくのが嫌だった。それこそ、最初の頃は周りの目を気にしてスカートのスーツを着ていたが、下町の出先機関ということもあり、徐々に服装をラフにしていった。服装のことが頭に浮かび、私は本庁勤務を断った。そんなことくらいで、と思うかもしれないが、ちょっと考えてみてほしい。男どもよ、ストッキングはいてパンプスはいて、ちょっとは化粧して、スカートのスーツを着て仕事に行けるか? 歩きにくいし、スカートはいてりゃ満員電車で痴漢にやられるし、毎日のことだし、とんでもないストレスだ。
4年目。初めての異動。同じ局内の違う出先機関に配属されることになった。また下町だ。ここもまた、20代の私からみたらおじいさんのような人ばかりで、女性は50代の人が一人いるだけだった。あーあ。またこんなところか。ここで私は労働相談係に配属された。係長をはじめ、皆いい人(っていうかこれが普通)ばかりだった。最初の職場のようなクセの強い、変なおっさんはいなかった。当時は中国人やイラン人の不法滞在(テレカの違法売買)などがあった時代だ。ここの事業所は、労基署のような法的強制力はないが、その前段階で労使双方の和解を促す役割を果たしているようなところだった。
また、弁護士の先生を招き、無料で相談を聞いたりしていた。私も勉強のため、と先輩職員の後ろで賃金未払いなどの相談を聞いた。調停のため労使双方を呼んだときは、話がこじれたのか相談室から怒号が聞こえてきたりした。
いやいやいや…20歳そこそこの私にこんな相談されても、なんの知識もないし、どうすんのよ。。。
しかも週1回は管轄の区の公民館みたいなところに出向き、順番で出張無料労働相談をやらなければならなかった。私には、所でつくったパンフレットや他の労働相談機関を紹介することくらいしかできない。
椅子が積まれた物置みたいな部屋に通され「どうか誰もこないで」と思いながら時間が来るのを待っていた。
う~ん、なんか違う。自分の考えが甘いのか、やりがいが持てない。みんな退職後(退職金の使い道)の話ばかりするし、夏休みの福利厚生施設の抽選の話ばかりする。いくら生活のためとはいえ、これを40年もしなければならないのか。
血気盛んだった20代の私には物足りないことだらけ、でもどうしたらいいかもわからず、もやもやしていた。