wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

公務員時代8

労働相談係に配属ということで、春闘の時期には管轄区にある様々な企業の労働組合をまわった。金属工場とか某大手牛乳工場、かと思えば小さな商店など。所でつくっている資料を持ってあいさつに行き、ベア交渉の情報収集をした。今は労働組合なんて大手企業にしかないと思うが(今となっては労働組合の大切さが分かるけど)、若かった私には独特の雰囲気すぎて、ちょっと怖かった。向こうも私みたいな若造(しかも当時の私は大デブ)がきて「フン」って感じだったし。まだバブルで世の中明るい雰囲気だったのに、ここだけ暗い。すみっこのほうの部屋を案内され、ドアを開けると異次元の空間。どよーんとしたおっさんたちがいる…みたいな感じで(失礼!)
いやあ、私がやりたいことはこういうことじゃないんだよなあ…。
それにメーデーにも参加した(させられた)。日比谷公園に集まり、旗の後について、シュプレヒコールをあげながら歩いた。いまもやってるのかな? あまりニュースで見なくなったような気がする。
労働相談係は私にとって荷が重すぎると訴え、翌年から庶務係(経理担当)に変えてもらった。それまで経理を担当していた男性と入れ替わる形となった。今となってはわがままを言って本当に申し訳なかったと思う。経理関係の業務は前のところでだいたいこなしてきたので、まだこっちのほうが安心だった。しかし、係は3人だけ。庶務・給与担当の50代女性職員(独身、ちょっとキツめの性格)と、やさしそうな係長、そして経理担当の私。あとは再雇用のおじいさんたちが3人。再雇用のおじいさんたちには、貸会議室の運営をやってもらっていた。
建物が古く、床のタイルが剥げているところがあった。来館者がすべったら危ないということで、修繕することになった。が、業者に頼むほどでもないからと、タイルとボンドだけ買って、再雇用のおじいさんたちと一緒にタイル貼りをしたこともあった。みな気のいい人ばかりだった。