wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

公務員時代10

私は本当は何がしたいのだろう。もやもやしながら毎日を過ごしていた。入札の件だって、正しいことをしたいと思っても結局何も変わらない。子供の頃は電車の運転士になりたいと思っていた。でも当時は男だけの職業だった。大学に行くつもりでいたが親から働いてくれと言われ、やっと見つけた目標「警察官」も最終審査で落ちた。しかも2年目は一次試験で落とされた。警視庁には私の履歴が残っているのだろう。痴漢や性犯罪から女性を守る仕事がしたかったが、もう二度と叶わない。このまま、じいさんたちのようになってしまうのだろうか。
生活の安定のためだけにこのまま終わりたくない。でも自分にはこれというものが何もない。大学も中途半端に辞めてしまい、仕事にもやりがいを感じられず、悶々としながら日々を送っていた。
自分で食っていかねばならないと決めた。だから民間企業のように男のほうが給料が高く設定されていたり、結婚しろとか寿退職を迫られない公務員になった。利益追求より困っている人を助けることができる、公益性のある仕事に使命感が持てると期待した。自分でいうのもなんだが、正義感が強いほうだった。でも現実は違った。心が苦しかった。雑誌『Hanako』で紹介されていた銀座の有名占い師のところに行き、手相を見てもらったこともある。私は転職について聞きたかったのに、「最近、彼氏と別れたでしょ?」とか、恋愛の話ばかりする。なに言ってんだこのじいさん。女とみれば恋愛の相談だと思い込みやがって。私に向かって彼氏だと。こいつニセモノだな。ほとんど一方的にしゃべり、「消化器系が悪いねえ」と私の手をとってもみはじめた。ああ気持ち悪い。たださわりたいだけのエロじじいじゃん。これ以来、男の手相師は信じないし、避けるようになった。
公務員になって6年目、この事業所に来て3年目。もやもやしていた私に転機が訪れた。それを知った瞬間「これだ!」と思った。それから約1年間、私は極めて慎重に、自分自身と対話した。この気持ちは一過性のものではないか、本当にやりたいことなのか、と。
でも気持ちは変わらなかった。親も同時に説得していた。1994年の秋、所属長に今年度いっぱいで退職したい旨を告げた。理由は「オーストラリア」だ。ワーキングホリデー制度で、かねてから行ってみたかったオーストラリアに1年間滞在できるというのを知ったのだ。当時はオーストラリア、ニュージーランド、カナダの3か国のみが対象だった。語学力を問わず、25歳までの若者ならだれでも行けるというもので、海外生活がしてみたかった私にはうってつけだった。
ちょっと前にNHKスペシャル(だったと思う)で、ナラボー平原を走る大陸横断鉄道インディアンパシフィックのことをやっていた。その映像に圧倒され、「これに乗ってみたい」と思ったのだ。
同時にこの頃、心を揺さぶる歌に出会った。
「空へ」。
私が大ファンだった寺田恵子さんが、カルメン・マキさんの歌をカバーして発表したのだ。
「あんたの好きなように 生きていけばいいと~」
これは自分への応援歌だと思った。この先どうなってもいい、今やりたいことをやろう。そこに全力を傾けよう。
所属長は「海外に興味あるならそういう部署に異動させてあげる」とかいろいろ言ってくれたが、私の意志は変わらなかった。また、休職扱いにしてもらうよう人事部にかけあってみるとかなんとか言ってくれたが、そんなことはどうでもよかった。結局「留学には当たらず、前例がないので休職扱いにはできない」という返事だったようで、公務員らしい、枠からはみ出ることはしたくない、責任をとりたくないという態度がみえみえである。とにかく、新たな目標を見つけたので目の前がパーッと明るくなった。当時はネットも携帯電話もない時代、本屋で手引書のようなものを買い、中野にあったワーキングホリデー協会に行って情報を収集し、着々と準備を進めた。