wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

2005年の考察(抜粋)11

私の家の近くの病院に(おそらく仕事で)もう20年近く通っている盲目の女性がいる。家路の途中で時々見かけるのだが、彼女は一人で、でこぼこの道を、車が行き来する決して安全ではない道を、自分の白い杖と路面の点字ブロックを頼りに駅まで歩いている。音の出る信号機ではない交差点もあり、この点字ブロックも途中で無くなってしまう。そこで立ち止まる彼女を見かけたときは、私は声を掛けることもあるが、彼女は自分で前方を確かめながらしっかりと歩いていく。

また、最近はエレベータの設置があちこちで見られるようになったが、駅という場所は相変わらず階段が多い。足の不自由な人が、人の流れが切れた後、辛そうに、ゆっくりと階段を降りている光景も目にする。改めて考えると、私が「当たり前」のように行き来している場所も、こうした身体に不自由さを持った人にとっては、いかに外出しづらい構造となっているかに気づかされるのだ。

 そして何も「みんなと同じ」である必要はない。もともと違う存在の他人と自分を比べても、何の意味もない。それよりも「自分で自らのおく生活の軸を多様性のなかから選びとれる人生」[1] ができるような社会となることが重要であり、そのような社会となるためには、「普遍」とされる価値観に合わなくとも、例えば私のような人間でも存在し続けること、いろいろな考え、生き方があるということを態度で示していくしかない。なかなか思うようにいかなくとも、自分で選択し、その結果起きたことには責任を持ち、それでも自らの人生を歩むことが大事であると考える。個々の人間がそうできるようになり、またそうすることで、自ずと多様性のある社会に繋がっていくだろうと願う。

 

[1] 原ひろ子『人間はわかりあえるか』PHP研究所1976 p.173