wanderer

人生放浪記(まだ更新中)。物心ついた頃から性別に違和感あり。職業選択の不自由を味わいながら結果的に「放浪者」になってしまったこれまでの人生を振り返る。

それ以前

子供の頃、本当になりたかったのは電車の運転士。でも当時、女性では運転士になることができなかった。とりあえず大学に進学して、出版社で働きたいと考えていた。しかし経済的な事情で親から「働いてくれ」と言われた。ショックだった。当然、大学に行かせてくれるものだと思っていた。周りはみんな進学するのに。今から30年以上前の日本は、男女雇用機会均等法ができたとはいえ、実際のところ「女はお茶くみ」「嫁入りまでの腰掛け」といった扱いが多く、給料も男と女で分かれており、男のほうが高かった。私はそんな民間の企業に入りたくなかった。じゃあ公務員しかないか…。しかし、デスクワークはやりたくなかった。そこでピンときたのが「警察官」。私が受験する年は、近県では警視庁しか募集していなかった。私は滑り止めで他の自治体を受けることなく、警視庁1本に絞った。実は、親戚で警察官をやっている人が何人かいる。それに痴漢や男のわいせつな犯罪が許せなかったし、女性を守る仕事がしたい…新たな目標が見つかった。夏休みには講座に通って猛勉強し、体力テスト、面接試験もクリアし、最終審査まで残った。あともう少しでなれる。12月、身辺調査ということで地元の警察署から警察官が家庭訪問に来ることになった。両親の田舎(実家)のほうには身辺調査で警察から電話が入ったらしい。言っておくが私は悪さもしたことないし、極めて普通の高校生だった。訪問当日、もともと折り合いが悪かった父も同席しており、嫌な予感がした。こいつは気の小さい男で酒癖が悪い。私と母が止めたにもかかわらず、こいつは酒を飲みやがった。警察官を前に酒の匂いをプンプンさせ、ぶっきらぼうに受け答えする姿に、私は涙をこらえていた。もう終わった。12月下旬、案の定「不採用通知」が届いた。嗚咽した。私の力が足りなかったのかもしれないが、原因はこの家庭訪問だと思う。あいつのせいで人生めちゃめちゃにされた。大学にも行けない。殺してやりたい気分だった。警視庁の問い合わせ窓口に「来年も受験できますか?」と泣きながら電話した。
高校の卒業式、私だけ進路先が「空白」だった。
翌年、もう1回だけ受けさせてとお願いし、受験をした。このときも婦人警官を募集しているのは警視庁だけだった。今回は滑り止めで国家公務員、他の地方自治体も受験した。警視庁は1次試験で落ちた。履歴があるからはじかれるだろうとは思ったが案の定の結果だった。国家公務員と某地方自治体に合格した。国家公務員は、当時、高卒枠では採用面接の電話がかかってくるのを待つしかなく、学歴コンプレックスもあったので(キャリアの召し使い的なイメージがあった)やめた。消去法で某自治体を選んだ、というわけだ。